ヤノベケンジ入門 lucky dragon 文字お越し集  01 2018年 作成 
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進行:アートの持つ力が、町をそして人を変えることができるのか。いつもそんな事を考えている訳ではありません。ただモノづくりの虜になってしまっただけです。

ヤノベ:こんにちは、どうですか。首はええやん。首ええやん
;これぐらいの感じで動いて欲しいですよね
ヤノベ:おーははははは
進行:使命感とか責任感はあまり持たないようにしています。そのせいか結構軽いノリに見えるかも知れません。

ヤノベ;僕自身は自分の可能性を拓いていく事には物凄く好奇心があるんです。自分の中にどれだけのイマジネーションが潜んでいるかを、それをどれだけ世の中に、提示して残していけるかというのを。何かを知りたいという、見つけたいとか発見したいという気持ちは常にあるみたいですね。
何かを発見したり、何かをつくり上げることが出来たら、たぶんその、極端な話、自分の生命よりも優先順位が高いんじゃないかとか、たまに思ったりしますねー。

進行:だから無謀と言われても、常に何かに挑み続けています。
しかし、今回のチャレンジは成功する保証がありません。失敗すれば、作家生命に関わるかも知れません。








ヤノベ;大阪の町というのは、やっぱり自分が生まれ育って色んなものをもらった場所、ちゃんと何かをお返しが出来る、あるいはしなければならない、年齢とキャリアになっていて、それを今出来るのは自分しかないじゃないかと。

進行:心に思う事はいつか本当に起こる。本当に出来る。その信念だけを道しるべに船は古(いにしえ)の水都へと向かいます。

現代美術作家のヤノベケンジさん、43歳。この日,、自身が教鞭を執る京都造形芸術大学で新たに手掛けるアートプロジェクトの1回目のミーティングを行いました。

ヤノベ:・・行わなければいけないので、

進行:出席したのは学科やコースを問わず、公募で選ばれた10人の学生と、学内にある、ウルトラファクトリーという名前の工房の専属スタッフたちです。この夏大阪で開かれる大型イベント、水都大阪2009に出品する作品を、これから、このメンバーで集団制作します。

ヤノベ:自分次第で色んな体験の度合いを変える事もできるし、求めるならば、その数倍返って来るというのは、確約できます。でたぶん、今回関わった事が皆の中で、今後生きていく中で物凄く大きく作用するのは確実です。そういうモノに関われる、権利をみんな獲得出来たので、しっかり頑張ってもらいたいと思います。


進行:古くから水と共に栄え来た町、大阪。水運が人々の生活を支え分化や産業を生み出す大きな役割を果たしてきました、しかし水害などが起きて川には次第に近づけないようになり、市民が水辺と親しむ機会は少なくなりました。水都復興をアピールしようと、大阪市や大阪府が推進するイベントに参加を要請されたヤノベさんは、大阪の水辺を走り回るアート船、ラッキードラゴンを制作する事にしました。
ヤノベ:実は僕はご存知の方も多いと思うんですけど、大阪生まれで大阪育ちで、今でも大阪に住んでます。で、今回水都大阪っていう形で僕が生まれて初めての大阪での最大のアートイベントが行われるという事で、物凄い気持ちが高ぶって、思い切りここでぶつかろうと思っております。

進行:大阪万博の未来都市の取り壊し現場が子供の頃の遊び場でした。その経験からヤノベさんは終末を迎えた世界でのサバイバルをテーマに、放射線を感知して直ぐ逃げられるようにする、放射能防護服など、生き残るために実際に使える作品を発表し脚光を浴びました。
 その後、終末後の世界からのリバイバル、再生をテーマにした作品で、新境地を開拓。お宅文化の魁とも言えるそのユニークな機械彫刻作品の数々が評判を呼び、国内外のアートシーンの第一線で活躍するようになりました。

 2004年からは、バーコード頭にちょび髭の浪速のトらやんを自分の作品の語り部として登場させました。このトらやんを巨大化させた、ジャイアントトらやんは火を噴くパフォーマンスで人々の度肝を抜きました。









戎橋で語る

ヤノベ:その場所の持っ、ごった煮のエネルギーというか、そのハイもローも無い、カルチャーの混ぜ具合、の中でも埋没しないタフさを突き付けられた、 今回こそ本当に町と直接対決しないといけない機会になったと思います。

進行:新作ラッキードラゴンの製作に当たってヤノベさんは普段客船として使われている船を改造して作品化しようと考え、海運会社に掛け合てこの船を使わせたもらう事にしました。

船主:大阪を勝気付かせたい、奇想天外で我々の考えと違うところがありますんでね。


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ヤノベケンジ ラッキードラゴンの伝説 2009 1/5
2011/05/30 に公開